ランボルギーニ・ミウラ①【思い出の車列伝】
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- 14 時間前
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空想の世界が現実に 圧倒的なスーパーカー
●ランボルギーニ・ミウラ
高校生だったテリー伊藤さんが、映画で目にしたランボルギーニ・ミウラ。
日本でのスーパーカーブーム前夜、夢の世界から出てきたようなスタイリングに
とにかく圧倒されたといいます。
Interviewer: Koichiro Okamoto (Motor Joumalist)
Photographs: Katsuaki Tanaka
映画で目にした雄姿に衝撃
V12を初めてミッドに搭載

僕とミウラとの出会いは、高校3年生だった1969年の「個人教授」っていうフランスの映画だ。F1レーサーのセレブな奥さまが、夫はレーサーだから世界中を飛び回ってる間に、寂しいもんだから高校生と不倫するというストーリーだった。
その高校生はちょうど僕と同い年という設定だった。それで、レーサーが帰ってきたときに乗っていたのがミウラだったんだ。それを映画館で観て、なんだこのクルマは!? ああ、これがあのミウラか! って思ったのが最初だよ。
ランボルギーニはそれ以前にも何台かあったけど、ドーンと世にその名をとどろかせた最初のクルマがミウラだ。とにかくインパクトがあったよ。
他のメーカーでミッドシップのスポーツカーというのは、それまでも一応あったんだけど、あまりパッとしないものばかりだった中に、いきなりV12をミッドシップに積んで出てきたってのがミウラだ。
デザインも圧倒的に素晴らしかった。それまで絵に描いたような夢の世界のクルマが本当にランボルギーニはそれ以前にも何台かあったけど、ドーンと世にその名をとどろかせた最初のクルマがミウラだ。とにかくインパクトがあったよ。
他のメーカーでミッドシップのスポーツカーというのは、それまでも一応あったんだけど、あまりパッとしないものばかりだった中に、いきなりV12をミッドシップに積んで出てきたってのがミウラだ。
デザインも圧倒的に素晴らしかった。それまで絵に描いたような夢の世界のクルマが本当に出てきたんだもんね。
エンジンパワーは最初が350馬力で、次の「S」でも370馬力だけど、当時のスーパーカーはそれでも十分すごかったんだ。日本車なんて100馬力いってるクルマのほうが少ないぐらいだったからね。タイヤだって細くて分厚い。
今考えるとしょぼいけど、それってベーブルースのことを今の時代に当てはめたらどうなんだというのといっしょで、あまりそれをとやかくいうのは野暮ってもんじゃないかな。
スーパーカーブームが訪れたのは70年代後半だから、そのだいぶ後だ。当時はカウンタックが主役で、ミウラはもう生産が終了していたから、過去のクルマみたいなイメージもあったけど、それでも準主役級のクルマとして存在感があったよね。
池沢早人師さんの『サーキットの狼』でも、ミウラは主人公の姉の恋人の愛車として華々しく登場していた。やっぱり特別なクルマだったことには違いない。
反モータースポーツが信条
新参だからこそ大胆に出た
ランボルギーニというのはもともとトラクターのメーカーだったというのは有名な話だ。そこで成功して、フェラーリを買って不満点を意見しに行ったら、逆に返り討ちにあったなんていう逸話がまことしやかに語られてるけど、それは後年の作り話らしいよね。
ただ、当時フェラーリやポルシェに乗っていたような人たちは、ランボルギーニを小バカにしたことには違いない。だって新参者だから歴史がないし、レースをやってなかったんだもん、モータースポーツ戦争は嫌いだとかいって。当時もやっぱりレースで鍛えられて勝ったものこそホンモノだという認識はあったよね。
言い方は悪いけど、どちらかというとランボルギーニは、いきなり出てきたコケおどしのハッタリ野郎というイメージもあったよ。でもそこがまたよかったんだ。
ミウラもすごかったし、その後のカウンタックはもっとすごかった。当時まだブランド
が確立していなかったからこそ、むしろあれほど大胆なことができたんだろう。いわば反骨
精神の表れだよね。
その後ランボルギーニは一度倒産して、親会社が点々として、最終的にアウディ傘下に入って、イタリアらしいイケイケな感じとドイツらしいキッチリした感じが見事に融合して大成功を収めている。こんなふうになるなんて、創始者のフルッチオは思ってもなかっただろうねミウラは、2026年に生誕60周年を迎える。今から10年ぐらい前かな、神宮外苑でランボルギーニ主催の大きなイベントに呼ばれて、そこに20〜30台のミウラが全国から集まったんだ。それはもう壮観だったよ。
そのとき驚いたのが、北海道や大阪から自走で来た人がいたんだ。前日は雨だったのに。なんか気合入ってるなと感心したよ。そのとき助手席に乗せてもらって、やっぱりV12は迫力あるなと思ったものだよ。
歴代ミウラをご紹介!
ランボルギーニ・ミウラの変遷
●TP400
(1965年)

最初に公開されたのはボディの架装されていないシャシーのみで、4L V12エンジンが横置きにミッドシップ搭載されていた。当時はFRレイアウトが主流だった中で非常に注目を集めた。
●P400
(1967年~1969年)

66年のジュネーブショーで公開されるや流麗なスタイリングが注目され注文が殺到。デザイナーはベルトーネの新人マルチェロ・ガンディーニ。
4L V12は350psを発揮した。
●P400S
(1968年~1971年)

改良版としてエンジンパワーが370psに向上したほか、インテリアの変更や装備の充実、快適性の向上が図られた。
●P400SV
(1971年~1973年)

続く「P400SV」では385psに引き上げられ、シャシーも強化されたほか、ポップアップヘッドライトの特徴的な「まつ毛」が廃止されるなどした。
●ミウラSVR
(1970年代)

17年ぶりに復活。「GR」初の専売車種となる。内容的にはBMW Z4との共通性が高く、歴代初の2シーターであり、初めて直4エンジンが設定された。当初は8速ATのみで、2023年にRZグレードに6速M追加。
写真提供:© 2025 Automobili Lamborghini S.p.A.
オークマン2026年2月号掲載記事


