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ランボルギーニ・ミウラ②【思い出の車列伝】

  • 6 日前
  • 読了時間: 5分



世界初“スーパーカー”

と呼ばれた車


ランボルギーニ・ミウラ


“スーパーカー”、そのカテゴリーは、

ランボルギーニ・ミウラの登場とともに

確立されました。

あたかも一瞬の夢のようなその足跡を、

モータージャーナリストが解説します。

Text : Koichiro Okamoto(Motor Journalist)


30台の限定車だったはずが

759台も量産することに

もともとトラクターメーカーとして成功を収めていた創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニが自動車に進出したのは1963年のことだ。

 当時すでにフェラーリやマセラティやアルファ ロメオ、デ・トマソ、ランチアなど名の知られた特別なブランドはイタリア国内にもいくつかあったが、彼が目指したのは、速くて豪華な高級スポーツカーだ。設立当初のモデルがまさにそうだった。

 そんな中で、彼は誰も思いつかないような車を送り出すことを考えた。最初にレーシングカーのようなベアシャシーを披露して世を驚かせ、やがてそれに美しく迫力あるデザインのボディを架装した。それがミウラだ。

 F1マシンから着想を得た、V12エンジンを座席後方に横置きするという、当時としては画期的な配置を採用したのだ。

「ミウラ」という車名は、スペインで数々の有名な闘牛を生み出した生産牧場の名前に由来し、ランボルギーニが以降もファイティング・ブルをモチーフとしてきた伝統の起源でもある。

 実は創業者のフェルッチオは、ミウラを30台程度の限定車にしようと考えていたという。ところが、1966年のジュネーブショーで公開されるや、カロッツェリア・ベルトーネ社の新進気鋭のマルチェロ・ガンディーニがデザインを手がけた流麗で美しいボディーラインは想定外に多くの人々を魅了した。

 フェルッチオの意に反してランボルギーニにはミウラのオーダーが続々と舞い込んでしまい、本格的な量産体制を整える必要に迫られることとなった。

 かくしてミウラは、ランボルギーニの歴史を象徴する伝説的な存在となり、世界で初めて「スーパーカー」と称された。ミウラの登場によって「スーパーカー」というカテゴリーが確立され、それが現代まで連綿とつながっているわけだ。


悲劇的運命をたどる1台が

実はひそかに開発されていた


最初に登場した「P400」は、最高速度は時速280㎞/hに達し、登場当時は世界最速クラスの市販車の1台と認識されていた。

 次の改良版の「P400S」は、エンジン出力向上のほか、内装や装備にも手が加えられ快適性の向上が図られた。

 続く「P400SV」がミウラの市販モデルとしての最終進化形となる。最高出力は385psに達し、シャシー強化によりリアフェンダーが拡大されたり、ヘッドライトのデザインが変わったのが特徴だ。

 その一方で、さらなるハイパフォーマンスモデルの開発もひそかに進められていた。フェルッチオは当初からモータースポーツ〝戦争〟を嫌い、ランボルギーニ車のレースへの参戦を認めない方針としていたのは有名な話だ。

 それでもなお、せっかくこれだけのポテンシャルがありながら、レースに出ないのはもったいないという考えも社内の一部にはあった。

 そんな中で、次期ミウラの先行開発という名目で、就業時間外にFIA(国際自動車連盟)の競技規則付則J項に適合させたレーシングカーとして、通称イオタ(Jota)が開発され、それをよりレースカーとして進化させたのが伝説の1台である「ミウラSVR」だ。

 驚くほどワイドなリアフェンダーや巨大なリアウイング、エアダムやリベット留めのフェンダーなどを備えた、見るからに戦闘的で過激なルックスをしていた。

「SVR」は3万㎞程のテストを行ったのち、シャシーナンバーが与えられ何人かの人物を経てとあるオーナーの手元に渡るはずだったのだが、納車前のテスト走行の際に高速で横転し出火。修復不能なダメージを負い廃車を余儀なくされたそうだ。その後、その「SVR」の存在を知った顧客からの要望で、P400Sをベースに、複数台の「SVJ」と1台の「SVR」が製造されたという。


モータージャーナリストの視点!


 生産台数は1966年から73年までに759台(※諸説あり)とされており、その流通価格はいまや億をはるかに超えている。80年代には1000万円以下で販売されていた個体も多数見られたようだが、その後に徐々に上がり、2010年頃には億を超えた。その後も上がり続けて、20年を過ぎた頃には、P400とP400Sが2億円以上、P400SVは4億円以上が相場となった。それが今でもおおむねそのまま続き、中にはオークションで6億を超えたケースもあるという。ミウラ、恐るべし……。



各世代のウリはここだ!


●P400

(1967年~1969年)


ランボルギーニの名を一躍有名に

● マルチェロ・ガンディーニが

 デザイン

● 4L V12は

 最高出力350psを発揮

● 予想外に注目され注文が殺到



市販車として販売された最初のモデルP400。車名に付くPはイタリア語で「後部の」「後方の」という意味をなすPosterioreのP、400は排気量の4リッターから名付けられたといわれている。



中古車小売り価格帯

2.1億円~3億円

●P400S

(1968年~1971年)


改良版として快適性が向上

● エンジン最高出力が370psに向上

● インテリアの変更、装備の充実

● 快適性の向上が図られた




チューニングによる最高出力アップに加え、居住性にも配慮したのがSの特徴。パワーウインドーを標準装備し、エアコンも装着可能となり、オーバーヘッドコンソールも装備された。

中古車小売り価格帯

2.3億円~3.5億円


●P400SV

(1971年~1973年)


シャシーも強化した最終進化形

● エンジン最高出力が385psに向上

● シャシー強化によりリアフェンダー拡大

● ヘッドライトの特徴的な「まつ毛」が廃止





P400、P400Sでは特徴的だったヘッドライト周りのまつ毛状のグリルがなくなった。その下のフロントグリルも横長の楕円状だったものが、Sに比べて口元をややすぼめた印象となった。

中古車小売り価格帯

4.5億円~7億万円



●ミウラSVR/SVJ

(1970年代)


謎に包まれたミウラの歴史

ミウラでレースに参戦するために制作されたワンオフの「ミウラSVR」と呼ばれるモデルは、公称最高出力440 psを誇り、シャシーはほぼ全面新設計されていた。さらに、その「SVR」のようなマシンを求める顧客からの要望で、P400Sをベースに同じような仕様の車両がわずか3台(6台という説も)だけ特別に生産されたのが「SVJ」だ。なお、「SVJ」も現存するほか、ランボルギーニが公式に運営するクラシックランボルギーニのヘリテージ部門であるポロストリコにより正式にレストアされた「SVR」を、実は日本のオーナーが所有している。

写真提供:© 2025 Automobili Lamborghini S.p.A.

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